思ったことをつらつらと。

その名の通り、考えたこと思ったことをつらつら書いていこうと思います。気持ちを文字におこすのが苦手なので練習です。

ストレングスファインダーをやってみて

ストレングスファインダーをやってみた。

以前から気になっていたのだけど、たまたまストレングスファインダーをしてみた人のブログを見たので思い切って購入し、やってみた。

 

私の5つの強み。

 

責任感

あなたは責任感という資質により、自分がやると言ったことに対しては何でもやり遂げようという強い気持ちを持ちます。それが大きかろうと小さかろうと、あなたは完了するまでそれをやり遂げることに心理的に拘束されます。あなたの良い評判はそこから来ています。もし何かの理由であなたが約束を果たせない時、あなたは相手に対してそれを何らかの形で埋め合わせる方法を無意識に探し始めます。謝罪では十分でありません。言い訳や正当化は問題外です。あなたは埋め合わせが終るまで、生きた心地がしません。このような良心、物事を正しく行うことに対する強迫観念に近い考え、非の打ち所がない倫理観、これらがすべてあいまって「絶対的に信頼できる」という高い評判を生み出すのです。人が新しい責任を誰かに任せる時、まずあなたに目を向けるでしょう。あなたがその責任を必ず果たすことを知っているからです。人々があなたに助けを求めてくるとき――すぐにそうなるでしょうが――あなたは選ぶ目を持たなければなりません。進んで事に当たろうとするあまり、できる範囲以上に仕事を引受けてしまう場合もあるからです。

調和性

あなたは同意点を求めます。あなたは、衝突や摩擦から得るものはないという考えを持っているため、そのような争いを最小限にしようとします。周囲の人々が異なる意見を持っていることが分かると、あなたはその中の共通する部分を見出そうとします。あなたは彼らを対立から遠ざけて調和に向かわせようとします。事実、調和はあなたの行動を左右する価値観の一つです。人々が自分の意見を他人に押しつけるために無駄にしている時間の多さは、あなたには信じがたいほどです。もし私たちが意見を述べることを控え目にし、代わりに同意や支援を求めるようにすれば、皆がもっと生産的になれるのではないでしょうか? あなたはそうなると信じています。そしてその信念によって生きています。他の人が自分の目標や、主張や、強く抱いている意見を声高に話している時、あなたは沈黙を守ります。他の人がある方向に動き出すと、あなたは調和という名のもとに(彼らの基本的価値観があなたの価値観と衝突しない限り)、喜んで彼らに合わせてあなた自身の目標を修正するでしょう。他の人たちが自分たちのお気に入りの理論や考えについて議論を始めると、あなたは論争を避ける方向に持っていき、全員が賛同できる、実用的で地に足の着いた事柄について話すことの方を取ります。あなたの見方では、私たちは全員同じ船に乗り合わせていて、この船をこれから行こうとしている所に到着させる必要があるのです。それはしっかりした船です。単に自分が船を揺することをできることを示すために、わざわざ船を揺する必要などないのです。

個別化

あなたは個別化という資質により、一人ひとりが持つユニークな個性に興味をひかれます。あなたは一人ひとりの何が特別でどこが個性的なのかを覆い隠したくないので、人を一般化したり、あるいは類型化することに我慢できません。むしろ、個人個人の違いに注目します。あなたは本能的にそれぞれの人の性格、動機、考え方、関係の築き方を観察しています。あなたはそれぞれの人生における、その人にしかない物語を理解します。この資質によって、あなたは、あなたの友達にぴったりの誕生日プレゼントを選んだり、ある人は人前で誉められることを好み別の人はそれを嫌うことを分かったり、一から十まで説明して欲しい人と、一を示せば十を知る人とに合わせて、教え方を調整できたりするのです。あなたは他の人の強みをとても鋭く観察する人なので、一人ひとりの最も良いところを引き出すことができます。この個別化という資質は、あなたが生産性の高いチームを作ることにも役立ちます。完璧なチームを作りに当たり、チームの「組織構造」や「作業手順」に着目する人もいますが、あなたは優秀なチーム作りの秘訣は、各自が得意なことを充分にできるような、強みに基づく配役である、ということを本能的に知っています。

信念

強い信念という資質を持っているとすれば、あなたは普遍的な価値を持っています。これらの価値は人によって異なりますが、一般的にこの信念という資質が、あなたを家族中心主義に、他人に献身的に、さらに崇高さを持つようにさえします。さらに自分自身についても他人についても、責任感と倫理感が強いことを評価します。この普遍的価値は多くの面であなたの行動に影響を与えます。あなたの人生に意義と満足感をもたらします。あなたの見方では、成功は金銭や地位に優るものです。この普遍的価値はあなたに方向性を与え、誘惑や心を乱すものがある中で、一貫した優先順位を保ちながら進んで行けるように、あなたを導きます。この一貫性があなたのあらゆる人間関係の基盤です。あなたの友人はあなたを頼れる人間だと言います。彼らは「きみのスタンスは分かっている」と言います。あなたの信念という資質は、あなたを信頼し易い人間にします。そしてそれは、あなたが自分の価値と完全に一致する仕事を見つけることも要求します。あなたの仕事は意義があり、あなたにとって重要なものでなければなりません。そしてその仕事は、あなたの価値を実現するチャンスを与えることができる場合のみ意味を持つのです。

分析思考 

分析思考という資質を持つあなたは、他の人に「証明しなさい。あなたの主張がなぜ正しいのか示しなさい」と強く要求します。このような詰問を受けると、自分の素晴らしい理論がもろくも崩れ落ちるのを感じる人もいます。これがまさしく、あなたの意図するところです。あなたは必ずしも他人のアイデアを壊したいわけではないのですが、彼らの理論が堅固であることを強く求めます。あなたは自分自身を、客観的で公平であると考えています。あなたはデータを好みます。データは人々の考えに左右されず、ありのままだからです。あなたはデータを見ると、パターンと関連性を捜し出します。一定のパターンが互いにどのように影響するのか、どのように結びつくのか、結果はどのようなものかを理解しようとします。そしてその結果が、提示されている理論や目の前の状況にふさわしいかどうかを知ろうとします。これがあなたのやり方です。あなたはこれらの点を一つずつ明らかにして、根本的な理由を探し当てます。人はあなたのことを論理的で厳格であると見ます。その人達は、いつかあなたのところにやって来て、誰か他の人の「非現実的な考え」あるいは「整理されていない考え」を話し、あなたの研ぎ澄まされた思考から見た考えを聞くでしょう。あなたの分析結果を伝える時、できれば決して厳し過ぎないようにしましょう。さもないと、その「非現実的な考え」が彼ら自身の考えである場合、その人はあなたをわざと避けるようになります。

 

最近、気になっているのは「個別化」。

人は今まで見てきたもの・経験とそれをどう捉えるかによって考え・価値観は異なる。

同じ考えや価値観を持つものはおらず、相手を完全に理解することは不可能なのである。

この前のプランコンテストでそれをまじまじと思い知った。

「地域活性化」の定義をチームメンバーで共有するのに1日もかかった。

だからこそ、相手がどういう価値観を持っているのか、そしてその価値観はどのようにして形成されたのかに最近とても関心がある。

 

兄弟・姉妹で同じ環境で育ってきたのにも関わらず、考え方・価値観とそれに伴う行動は異なる。

人の思考・価値観の形成はどのようにして行われるのか。それをとても知りたい。

 

強みを理解することはとてもいいことだ。というか今回、「個別化」という強みを見つけたのだが、これが強みになるとは思ってもいなかった。

すごく勉強になった。
「分析思考」は自分なりの分析でまだまだ浅はかだと思うが。

「信念」「責任感」はその通りだと思う。それで苦しむこともあるので程々にしたいのだが・・・

 

また欠点を補うことも私は悪くないと思う。同じチームに欠点を補完してくれるメンバーがいるとは限らない。

私はなりたい自分になるために自分のペースで欠点克服のために挑戦し続けている。

まったく克服できていないが、昔に比べるとだいぶましになった。

 

この前まで、得意ではないこと、出来ないことは自分に向いていないから諦めようと思っていた。

なんでみんな出来ていて自分はできないんだろう、ここはもっとこうすればよかったと思うことがたくさんあった。

悔しかった。私は頑張ってもできないんじゃないかと思った。だからもっと別のやりたいことを見つけようと思っていた。

でもそんなときにある方からこういわれた。

 

「君は水泳が得意?」

「いえ、泳げません」

「じゃあ、オリンピックで水泳選手を見て、あんなフォームで泳げばもっと早く泳げたのに!とか思わないよね?」

「絶対思わないですねw」

「人は興味がないものにはそんなものなんだよ。むしろここが出来なくて悔しい、こんな風にすればよかったんだ、と思うことが純粋にやりたいことなんじゃないかな」

 

単純にそっか、そうだよなと感じた。

やりたいことが苦手だからって諦めることはない。

得意なこと=強みを伸ばしながら、克服していくことが大事なんだと思う。

わかんないけど。

 

また長くなった。終わろう。

友達とは何か、親友とは何か

私は自分の思いや考えを文字に起こしたり、言葉にするのがとても苦手である。

その訓練として、まずはブログで自分の気持ちを表現する練習をしようと思う。

 

今日のお話は「友達とは何か、親友となにか」である。

考えるきっかけは先日行ったゼミ合宿。

ゼミのメンバーで話していて、K君はゼミのメンバーもまだ友達ではなく、「知り合い」の範囲だと言う。Yさんはみんな「友達」だと。

「友達」ってどこからを友達というのだろうか。私は友達が少ない部類だと思うが、周りから見るとそうでもないらしい。確かに人とのつながりは多く持っているが、それは私にとっては友達ではない。知り合いだ。私は人見知りなのもあり、心を許せて色んな事を話せたり、一緒に遊ぶことができる人を友達と分類するのだと思う。

 

その後、「親友はいるのか」という問いに、私は考えて「いない」と答えた。

私が「親友」と言われてパッと思いついたのは2人。どちらも中学からの同級生。でも一人の子は私にとっては眩しすぎた。憧れなのだ。私が持っていないものを持っている子。卒業する前からそうだったが、卒業してからはもっと距離が離れたように思う。それはそれで仕方ないのだ。そう思うしかない。

もう一人の子は本当に何でも話せ、受け入れてくれる。理解しようとしてくれる。私の一番の理解者かもしれない。結婚式のスピーチをお互い任せあった仲。なぜ私は「いない」と言ったのだろうか。あまり会わないからかな。

それはそうでいい。私が驚いたのが高校からの同級生のTさんが私のことを親友と言ったこと。私は彼女のことを親友などと思ったことはなかった。

彼女は大学に入り、道を見失って完全に殻に閉じこもっていた。私はそんな彼女を救いたくて、いろんな手を使って更生してもらおうと努力した。それは認めるし、私も必死だった。

でもそれは「親友」だからやったわけではない。周りに苦しんでいる人がいるのは耐えられない。ただそれだけ。私が嫌いな人ではない限り、一人でも多くの人が幸せになってほしいから行動する。その子に限らず、私はいろんな人にやってきた。

でもその行動で「親友」と思われるのは甚だ心外である。彼女はただ私に頼っているだけ。私は彼女には何も思っていることは話せない。

私は人に依存する生き方が苦手である。それはまだ子供だからかもしれない。人は裏切る。私は誰かから裏切られるのが怖いのだ。特に大好きだと思う=依存している人。依存している相手が裏切ったら、私はもう立ち直れないと思う。

彼女にとって、私は困った時に助けてくれる相手なんだと思う。でも人生そんなに甘くはないことをわかってもらわないといけない。自分が生きていくこと。そんなの誰も助けてくれないのだ。

親友って何なんだろう。わからなくなった。

 

普段使っている名詞ではない言葉ほど難しいものはないと思う。ここでは「友達」の定義がみんなそれぞれ違う。

「好き」「優しい」「成長」が私のここ最近の、いまだに定義づけ出来ていない難しい言葉群なのだが、今回ここに「友達」「親友」が加わった。

人によって、見てきたもの、経験してきたことが違う。それぞれの歴史があるのだ。それを理解しないままに、相手の言葉の意味を理解することはできない。

 

なんか文章が無茶苦茶になった気がする。論点がずれまくった。まあいいや。

今日はこれでおしまい。